読書レビュー。週に1〜3冊は読書をしていて、ストーリーやら感想などを忘れないうちに書いておこう。
数十年後も続けていますように・・・(毎週火曜日更新予定ですが本を読み終わったら書き込みます)
 
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【2007.08.23 Thursday 】 author : スポンサードリンク
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ラルフ・タウンゼント - 暗黒大陸中国の真実 (2004)


この本の何が凄いかというとアメリカ人の書いた本であるということ、
そして1933年に書かれた本であること。

1933年はどんな時代だったのでしょうか。
1918年に第一次世界大戦も終わり帝国主義が一度は沈静化します。
日本も1920年に国際連盟に加わります。
そして1929年の世界恐慌を発端に日本の経済も大打撃を受け、
その資本を国外に求めるようになりました。
1931年に満州事変が勃発。
1933年には国際連盟からの脱退。

著者のラルフは1931年に上海に、その後は福建省へと向かい1933年に帰国。
そしてその年にこの本を書き上げました。
内容が以下に過激であろうが、そのことについて謝罪するつもりは全くない。(中略)いくら辛かろうと現実は現実であり、この狭い世界に中国人と一緒に我々は住んでいるのである。臭いものに蓋をしては何事も成し遂げることはできないのである。

序文でこう述べるように決意、覚悟を持ってラルフはこの本を書き上げたのです。

本の内容については私のページではなく、オルモルフさんのWEBで詳しく書かれています。

人間の本質はたかが70年で変わるものではありません。
(日本のような原爆による終戦、GHQの洗脳作戦がなければですが)

この本が教えてくれることは日中戦争前、中国がどのような状況で
日本がどのような考えを持っていたか、そして何が起こっていたのかを
敵国でもあるアメリカ人の目を通して痛いほどに真実が伝わってきます。

はっきり言ってここまで酷いとは想像もしていなかった。
日本が満州事変に突入した背景が今ひとつわからなかったのだが
この本を読んで時代背景が鮮明になり、中国の真実を理解しているのは
日本だけだったことがよくわかった。

アメリカ人宣教師のために書かれた本のような出来だが
現代の日本人が読むべき、読まなければいけない本である。
これこそ中学生か高校生の歴史の副読本として必須。
当時の中国の状況を理解せずに歴史を勉強することは危険である。
ただいたずらに日本が侵略を繰り返したかのように見えてしまう。
特に九か条の要求や満州事変については今までの疑問が氷解するほど。

昨年のアジアカップでの中国人の暴動の原因、民族性に
なんかおかしいなぁと思った人は読んだほうがいいでしょう。
中国人の本質がよくわかります。

翻訳者である先田賢紀智のページはこちらから。
【2005.07.28 Thursday 21:41】 author : bookvader
| 歴史 | comments(4) | trackbacks(0) |
岡田 益吉 - 日本陸軍英傑伝
岡田 益吉 - 日本陸軍英傑伝

大東亜戦争での日本陸軍の英傑10人を、当時毎日新聞の記者だった
著者が実際にインタビューした生の声を含んでリアルに綴っています。
天才というのは軍に多数集まっていたのであったと実感します。

教科書なんかには載っていない歴史があります。
大本営が無能であったのに、この天才達のおかげで惨敗を免れたものです。

永田鉄山(陸軍省軍務局長)
栗原忠道(硫黄島守備兵団長)
牛島満(第三十二軍令官)
阿南惟幾(陸軍大競巨)
本庄繁(関東軍司令官)
山下奉文(第十四比島方面軍司令官)
本間雅晴(第十四比島方面軍司令官)
小畑敏四郎(陸軍参諜本部第三部長)
石原莞爾(陸軍参謀本部作戦部長)
根本博(北支那方面軍司令官)

この中で印象が残っているのが、フィリピン軍司令官の本間雅晴中将です。
悲劇の将軍だからでしょうか。電車の中で読んでいて思わず泣けてきました。

GHQのマッカーサーがフィリピンで本間中将に負けて、オーストラリアに
敗走したことが極東裁判で東條英機(陸相)、嶋田繁太郎(海相)に次いで
本間中将のリストを作成しています。完全に復讐ですね。

”バターン死の行軍”という事件があります。
バターン島に攻め込んでみたらマッカーサーは逃げていて、司令官が
捕虜になったら米軍+フィリピン兵7万5千人が投降しました。
日本軍の2倍以上の捕虜をどうしろというのでしょうか。
そんな食料もあるはずもなく、鉄道のある60km離れたところまで
歩くことになったのです。敵兵がすでに栄養失調、過労、マラリアの
状態だったのが行進の途中で多数の死者を出してしまった悲劇です。
これが死の行進と呼ばれました。
「バターンを奪回せよ」なんて映画も1944年にアメリカが作っています。

この責任のため極東裁判で本間中将を銃死刑にしたのは全くもって許し難いです。フィリピンでの裁判では富士夫人が法廷でこう証言しました。
「もし私の娘を嫁がせる場合には、私は本間のような男性を選ぶでしょう。私は本間雅晴ほ妻たることを誇りとします。また、本間のような男性に私の娘を嫁がせることを誇りとします。」
しかし夫人の証言も虚しく、処刑されることになります。
最後の手紙には妻への感謝と孫の顔が見れなくて残念だと綴ってあります。

石原莞爾、根本博にも非常に興味が湧いたのでまた別の本を読んでみます。
いやぁ、奥が深いっす。
【2004.09.14 Tuesday 23:18】 author : bookvader
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